2017年7月19日水曜日

行政学 第6回

◆日本の統治機構はどのようになっているのだろうか?どのような変貌を遂げたのだろうか?

☆日本の議院内閣制はどのような特徴を持つのか?どのような変化が生じたのか?日本に議院内閣制の下では、首相は強いリーダーシップを発揮できないのか?

◆戦前の統治機構

大日本帝国憲法における首相・・・「同輩中の首席」=弱い首相
というのも、

・そもそも憲法に内閣の規定がない
・軍事や行政権は天皇が持っている
・超前内閣なので、議会の多数派が支持してくれるわけではなかった
・ほかの大臣とほぼ対等

国のトップとして押さえておくべきものを抑えられていない。権力が分立していて、統制が弱い。


◆議院内閣制が始まったころ

・憲法上は、強い首相の可能性が担保されている
・ただし、各大臣がそれぞれの分野に強い管理力を持つ(分担管理原則)
→法律レベルでできることがあいまい+官僚をコントロールしにくい
→責任関係が希薄
→官僚制内閣(官僚が内閣の政策に強い影響力をもたらすこと)が確立される


◆高度経済成長期前の政治行政

55年体制・・・与党第一党が自由民主党、野党第一党日本社会党が占める体制。とにかく二つの政党が対立していた。ただ結局自民党がその後も政権党を握り続ける。保守派支配の幕開けとなる。

この体制が、行動経済成長を支えるシステムを作り出した

官僚が経済に対して強い影響力を持っていた(国士型官僚:「日本を背負っているのは我々だ」「政治の理念は我々が一番理解している」と考えている)

◆自民党支配の統治構造
◆政府与党二元体制
☆政府与党二元体制で官僚を統制しようとしたが、結果として政官財のトライアングルが生まれ、調整型官僚が登場した。

国士型官僚の強い影響力を抑え、官僚制の統制を行うために、与党を通じて官僚を統制することとなった。

事前審査制の確立=政策審議の場が、自民党の内部で行われる
※事前審査制:内閣に提出する法案を、提出する前に事前に党内で審査をする、という自民党独自の制度

具体的には、政務調査会で、各省庁、省庁別の法案の起草をする

政策を審議するためには専門知識が必要となる

専門知識を有した議員、族議員が誕生。官僚とともに政策を調整するようになる

族議員や官僚を通じて、業界団体(ex.建設、製薬など)が加わる(族議員や官僚につながれば、業界利益を代弁してくれるから)

政財界のトライアングル、鉄の三角同盟が出来上がる
農業における政財界のトライアングル













これにより、政官財が癒着関係になる

国士型のように政治家を見下すのではなく、多様な利害を整理し最終決定は政治家に任せる調整型官僚が生まれるようになった。

◆疑似政権交代と野党ー55年体制の特徴ー
疑似政権交代・・・実際は政権交代が起きたわけではないが、派閥争いの結果としての首相交代によって、政権の刷新が行わたようにみえること。選挙を経由しない。

なぜこうなるのかというと。。。

自民党がずっと政権与党だった。社会党は野党第一党だが、政権を取るつもりはさらさらなく、ただ自民党に突っ込んでいるだけだった。

このころは、国会を円滑に進めるために裏で取引を行っていたのだが、そこで金品の収受があった。また、この取引が自民党の派閥争い(=自民党にも多様性があった)にも利用された。

与野党の馴れ合いの関係、つまり、野党の社会党が「隠れ自民党応援団」であった

☆野党が与党を実際には支えていたため、自民党政権は安定的であった。与党vs野党ではなく、自民党vs自民党であった。


◆55年体制の崩壊と統治構造の変化
◆55年体制の終焉
安定的な政権は、政治腐敗を招きやすい。
バブルの崩壊や、リクルート事件などで、有識者の意識が変化する

行政改革、政治改革の希求

自民党に支持率や影響力が低下

・1989年の参議院選で、初めてのねじれ国会
・1993年に細川内閣(←自民党以外の党で構成された連立政権)が発足で、自民党が下野。55年体制が終わる

◆政治改革、行政改革
55年体制から脱却後、「改革」が政治・行政の主要なテーマとなる
①小選挙区比例代表制の採用(それまでの中選挙区が、55年体制を支えていた)
②政治資金規正法の改正
③行政改革による官邸機能、内閣官房機能の強化、中央省庁再編
④政治任用の強化(内閣がもっと行政をにぎろう、ということ)

これらの改革のもと、以下のように変化が起きた
①党首の権限が高まる(小選挙区制では、党の公認が非常に重要になるため、公認権を握る党の執行部の権限が高まった)
②派閥の支持に加え、世論の支持も重要となる(小選挙区制では一人のみしか当選しないため、輿論の支持のある議員が当選しやすくなる)
③内閣権力資源が増加。内閣機能の拡充となる

☆首相の権力が高くなる可能性が。

これを実践したのが、小泉純一郎首相であった

◆議院内閣制を取り戻す?
2001年4月、小泉政権誕生
◎経済財政諮問会議、首相補佐官の活用=党ではなく自分自身の中で意思決定をすすめる

分かりやすい例が、郵政民営化。以下のように実現した
①経済諮問会議でまとめた基本方針を、事前審査を通さず(=自民党の承諾、官僚の)を得ずに閣議決定し、法案を提出
②その後小泉首相は自民党の修正案を受諾。
③自民党が修正案に党議拘束(党の人は必ずそれに票を入れなければならない)をかける
④自民党の反対議員に対して切り崩しにかかる(反対してもいいが解散して選挙するぞ)
⑤衆議院では可決、参議院では否決
⑥参議院の否決をうけ、衆議院を解散。なお、この際に反対票を投じた造反議員に対して別の候補者を擁立
⑦結果、公明党と合わせて衆議院2/3以上の議席を確保、郵政民営化関連法案が可決となる

☆分散形の官僚主導の意思決定から、集権型の官邸主導の意思決定へ転換した。首相によるトップダウン型の意思決定へとなった。






0 件のコメント:

コメントを投稿