行政がどういった軌跡をたどっていたのか。なぜ複雑になったのか?
行政は、初めは絶対王政化で強靭な国家を作るにあたり統治機構を整える必要性から生まれた。その後、ナポレオンが台頭するようになり、領地の支配と引き換えに自治権が与えられ、自由都市が生まれた。これにより、中央地方の関係が出来上がる。
重商主義を進めていった結果、ブルジョワなどの納税者が、自由主義をもとめるようになり、三権分立の概念が誕生した。それによりブルジョワらが政治に加わると、規制廃止の方向に進み、国家は夜警国家化した。
しかし、自由都市が生まれ経済が活発になると、工業化が始まり、工業化が進むと人口が増えるため、都市行政サービスを整える必要が出てくる。また、工業化に伴い誕生した労働者が台頭するようになると、今度は労働者も政治に参加することになるので、左派的、社会政策や労働政策の拡充が求められた。すると国家の行政活動は大幅に増加し、国家は行政国家化した
さらに、世界大戦や大恐慌の影響で、中央集権体制が築かれ、国家は経済に介入する福祉国家となったが、60年代以降の経済停滞や、オイルショックなどで政策が失敗すると、「大きな政府」に対する批判がおおきくなり、新自由主義や社会民主主義など、新しい国家の在り方が模索され、各国で差が出るようになった。
◆絶対王政下
ウェストファリア条約以降↓
領邦国家がひしめく時代
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中央集権体制の確立
↓
強靭な国家基盤を作る=統治機構の整備や拡充が必要になる
統治機構の内訳
①君主権=協賛機関。議会の原型
②統治権=遂行機関。内閣の原型
◆地方自治制度への着目
なぜ地方自治制度の整備が必要になったのか?→自由都市の存在地域併合の代わりに、自治権が与えられるようになった。
→①国家による自治の保証 ②国と年の二重構造→中央地方関係が創出される
◆ブルジョアの登場
自由都市化に伴い浸透した重商主義が進むと、市民の中に「ブルジョア」が登場する↓
プルジョア=納税者
↓
自由に商売をしたいので、自由主義を支持する(国は余計なことはせんでええ)
↓
近代市民革命、立憲主義が求められるようになる。
◆立憲君主制と三権分立の成立
君主:「ルールで自分を縛るから、自分はいてもいいよね」ということで、欽定憲法発布。国民議会の開設
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三権分立の概念が確立
↓
このとき、法律は行政よりも優位に立っていたが、制度が整ってない上に官僚に自律性があったため、行政を十分にコントロールできなかった
◆近代民主性の議会システムと行政
制限選挙→ブルジョア中心の利益を代表する議会→重商主義の批判(規制や助成はだめだ!だめだ!)→国防、治安維持以外はほったらかしくらいでいい!と。◆工業化と都市行政の発展
自由主義政策を進めていった結果→工業化:産業革命↓
工業化による変化
①都市化、②都市問題の発生、③労働者の登場
↓
都市行政サービスが発展する
地方に自治権があり、全権限性(必要なことは何でもしていいよ)があったので、実行できた
↓
工業化によって、地方政府レベルで行政活動が大幅に増加した
◆労働者の台頭
労働者が増え、階級対立が激化①よりよい生活=福祉の要求
②そこから、革新的思想の誕生
③労働組合の結成
◆現代民主制と職能国家、行政国家
普通選挙制度の導入→いろんな人の意見が政治に反映される(もちろん労働者も)↓
左派政党の影響力が急増
↓
社会政策、労働政策の拡充=行政の活動がデカくなる
↓
立法府よりも行政府(=議会よりも専門家集団)のほうが説得力のある、いわゆる行政国家、職能国家となる
なお、行政サービスの権限は中央政府に帰属する一方で、実施は地方政府
↓
地方政府の自立性喪失
↓
福祉国家の中央地方関係が作られる
◆福祉国家
①世界大戦で、中央集権化②大恐慌で、経済への介入
程度の差はあれど、先進諸国では1960年代まで福祉国家が進展
◆その後、脱福祉国家
1960年代以降、各国で産業が行き詰まる1973年オイルショックで経済停滞→福祉国家の黄金期が終焉
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大きな政府への批判
↓
新たな道へ
①自由主義路線
②社会民主主義路線
③保守主義路線
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