2017年7月21日金曜日

行政学 第4回

◆テーマ:行政システムは具体的にどのように発展してきたのか?

☆多様な行政サービスがどのように生まれ、定着したのか?行政システムはどのような理念に基づいて、どのように変わっていったのか?

◎分かりやすい比較例:ドイツ


◆行政システムのはじまり

◎工業化の前の行政

・自由主義を基軸とした小さな政府(=国があまり口出しをしない)
・都市(地方)に自治が与えられ、自律的に政策を行う(その代わり時々国に協力してもらうスタイル)。道路行政や、学校行政、救貧行政など
・当時のベルリンにおける貧窮者:多くが寡婦、2割だけが労働者→労働者が貧困を訴えることはそんなになかった
・そのため教会や市民で扶助をした(国がしたわけではない)

☆この時代は国が介入しなくても市民の間で何とかなった

◎やがて都市化すると

都市化=工業化による産業構造の転換

工業が発展する流れ
①1815~1840:工業化初期、鉄道の建設
②1840~1870:工業成長の兆しの時期
③1870~:工業が発展する時期

都市化や、都市の密集が問題を引き起こすようになるのは、②の時期。
おもに衛生不良による疾病、犯罪
この問題を解消するために上水道の供給、ガスの供給が、公営で行われる
インフラが整備されることにより、さらに都市が発展
それに伴い住宅や、公共交通、電気、下水道などが整備される(③の時期)

☆都市化に伴い、徐々に国の力が必要となってくる

◆第二帝政期(1871~1918)における行政システムの形成

◎国家の新たな行政活動・・・

ビスマルクによる国家の社会政策が加わる
社会保険を始める代わりに、社会主義者を鎮圧(飴と鞭)
※社会主義:労働者に支持された

ただし、行政の活動の総量は限定的。

☆貧しくならないように予防しよう、という考え方が定着した。ただし国はたいして働いたわけではない。


◎都市行政の定着と変容

都市化に伴って、さらに社会が変容。具体的には・・・
①さらなる都市インフラの必要性(住宅建設、公共交通、下水道など)
②日常生活に不可欠となるサービスの必要性(生存配慮という)
→多様な行政サービスの登場→20世紀になると社会扶助にも拡大

・なぜ都市行政サービスが定着したのか?
①生活改善の考え方が受け入れられた(都市社会主義)
②都市行政サービスに関する専門家の育成が重なった(都市官僚の台頭)
③都市行政サービスが、よく儲かった(営利性)


◆戦間期においては行政サービスはどのように変化したか?

◎ヴァイマル共和国になり行政システムにも変化が・・・

なぜ行政システムが転換されたのか
①ヴァイマル憲法が制定された=生存権が保障された(=生存配慮が確実なものに)
→国による社会扶助が憲法で保障された
②敗戦による財政圧迫=インフラはある程度発展したので、切った。
※ただし公共交通はドル箱だったので維持。

☆社会国家への転換、中央集権化に伴い都市の自立性が低下=行政サービスを誰が保証するのかが複雑に。


◎不安定な経済と第三帝国

1930年代はかなりの不況で、失業率40%であったが、1935年には失業問題を解決。なぜか
国家の積極的な経済への介入をしたため(アウトバーンや、自動車産業促進など)=純粋な中央集権国家が出来上がる。
国が保障し、自治体が供給する体制になる
典型的なトップダウン型が完成

☆中央集権国家が出来上がり、自治体が国の下請けとなる


◆戦後の行政システム

◎福祉国家としての歩み:なぜ普通の国家になれたのか

戦後、西ドイツは「奇跡」といわれる経済復興を達成。なぜか。

国家の介入を許容した、自由主義経済思想を取り入れたから(社会的市場経済)

福祉国家として進んでいく

※日本と同様戦後アメリカの支援、および冷戦の特需によって再建したとも。

◎その後
保守主義レジーム(家族や協会にも手助けしてもらう形)として、新自由主義へと転換していく。


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