2017年8月2日水曜日

政策学の復習 その5 ~政策決定と制度②~

◆選択肢の制約
制度によって、誰が政策決定に参加し、どのようなプロセスで政策が形成されるかが規定される。アクターはその制度の下で行動を選択するわけだが、その行動の選択自体にも制度による制約がある。制度が、アクターの行動における選択肢を規定するということである。

◆制度による選択肢の提示
制度はしばしばアクターが取りうる選択肢を提示し、それによってアクターの行動が制約される。アクターは、制度の下で自己利益追求の認識をし、場合によっては再定義することになる。

◆歴史的制約
アクターにとっての行動の選択肢はすべて明文化されたものではなく、過去に定められた制度が現在の制度の決定に一定の制約を加えることもある。そのような政策を政策遺産という。特に、過去の制度が現在の制度を強くもしくは他の制度を選ぶのを困難にさせることをロックイン効果という。制度の変更にはコストがかかる上、一度制度が出来上がると粘着性も強くなってしまうために経路依存性(初期の制度選択における歴史的偶然性)が強くなってしまうのである。

◆同型化
行動の選択肢に制約を与える要因として、同型化も挙げられる。同型化は、技術に適応する競争的同型化と社会通念に対応する制度的同型化に分けられ、政策学の分野では後者が注目される。「~はこうあるべきだ」という社会通念という非公式の制度がアクターの認識に影響を及ぼすことによって、間接的に選択肢の範囲が同一の選択肢に限定される。同型化のメカニズムには3つある。同町圧力によって生じる強制的同型化、不確実性を回避するために他の組織の模倣をする模倣的同型化、業界の標準や規範への追従圧力から生じる規範的同型化である。





2017年8月1日火曜日

政策学の復習 その4 ~政策決定と制度①~

◆公共政策学における制度
制度自体が独立変数となり、アクターの行動を規定する。社会的・政治的帰結をもたらす。

◆新制度論
それまでアクターは自己の利益を最大化する行動をとると考えられていたが、実際は個々のアクターは自分の関連する制度によって行動をとるという考え方で、制度そのものを独立変数として捉え、制度による政治的・社会的帰結に注目する。理論化志向。多元主義は政策形成と社会の関係しか見ていないとして批判される。

◆制度
「制度」の定義は人によってさまざまな解釈がされているが、その理由は制度の多様性にある。制度を多様にするのは、その階層性、公式な制度と非公式な制度(明文化されているかいないか)の存在、制度と組織の区分が不明確な部分にある。

◆新制度論のアプローチ
新制度論を分析するアプローチには、国家や社会構造の政策選択の構造、国家間の比較を行ったうえでその政策がどのような過程でつくられどのような影響を及ぼしてきたか(政策遺産)を分析する歴史歴制度論、公式な制度が、経済人の合理的な行動にどのような影響を与えるかを分析する合理的制度論、行動を選択するうえでの「認識」「社会通念」「同型化」現象に注目して制度との関係分析をする社会学的制度論の3つがある。


では、アクターの行動の制約となる制度は、実際のどのような影響を及ぼすのだろうか?


◆制度による影響
制度は、だれが参加するのか、アクター間の力関係、決定におけるルールに対して機能する。参加者については、どのような場で決定するか、ということを制度で定めることにより、誰が政策決定に関与できるかが決められる。権力関係については、制度が誰にどのような権限を与えるかにより、アクター間の力関係が規定される。この際、上位組織からそれに属する会組織に対して強制的圧力が働き、特定の政策選択に影響を与える。また政策決定の場では、参加者がどのように行動をとるかということや決定までのプロセスが制度によって制約されている。誰が法案を提出でき、どこで審議し、いつまでに決定するといったようにプロセスが制度化され、アクターはその制度にあわせたゲームを行うようになる。このとき政策決定に大きな影響を与えるのが、拒否点である。拒否点とは政策決定過程において特定のアクターが拒否権を行使できる段階のことで、拒否点の数がどのくらいありどこに存在するかにより、政策選択や政策の変化に影響を及ぼす。







2017年7月22日土曜日

政策学の復習 その③ ~政策問題の構造化~

「問題」

構造が複雑

正確に把握できなければ間違った解決案

どういう構造・性質をしているかを把握することが重要


◆政策問題の特性

◆政策問題の複雑性

①全体性・・・ほかの問題としばしばリンク
②相反性・・・改善が他の問題の悪化につながることも
③主観性・・・様々な解釈
④動態性・・・絶えず変化していく


◆政策問題の3つの構造

良構造・・・明確、単一、コンセンサスあり、最適化結果が予想しやすい
悪構造・・・無限定的、不明確、複数、コンフリクト予測が難しい
③半構造
・・・現実的に良構造な問題は少なく、ほとんどが悪構造。

◆第3種過誤

悪構造は、第三種過誤を引き起こしやすい。
◎第3種過誤間違った設定の問題を(正しいと間違って)解くこと。明後日の方向に解くこと。ex)大店法など

第1種過誤:正しい帰無仮説を間違ったものとして棄却する誤り(偶然ではないのに、偶然だと結論してしまう)
第2種過誤:間違っている帰無仮説を正しいものとして判断する誤り(偶然なのに、偶然出ないと結論してしまう)
※この二つの誤りは統計的検定でよく発生する。



◆問題構造化の検討

◆ハードシステム思考の限界

政策学科の初期では、「自動化の選好(=合理化)」が目指されていた。その中心的な考え方が「ハードシステム思考」である。

◎ハードシステム思考:与えられた明確な目的から、最適な手段を選択すること

良構造的な問題なら、ハードシステム思考は行えるが、良構造な問題はほとんどない=ほ多くが「悪構造」
目的だけでなく、何が問題化もはっきりしない問題が増えてきた
「自動化の選好」の失敗(=政策システムの限界)
問題がどのような構造なのかに注目すること、問題を構造化することが重要となる



◆政策過程での問題構造化

◆議論への注目

議論を中核とした政策分析がされるようになる。「公共政策は言葉で作られる=議論への注目が大事」

・実証主義的政策分析の限界(問題点)
※実証主義=理論や仮説、数値データなどを用いた、論理的な立場。政策学では前提となる考え方。
政策分析のイデオロギー性・・・分析の時点で主観が入る(価値搭載性)
社会的構成としての事実・・・社会にある「事実」は、人の頭で作られたもの
政策分析の政治性・・・分析の段階で、政治的な視点が入る。

・ポスト実証主義
今までの実証主義に限界が来たなら、考え方を転換する必要がある。
具体的には
①解釈論・・・アクター間の認識の差異、行為の背景や意図に注目
②批判理論・・・政策決定の過程におけるコミュニケーションの問題に注目。議論や審議を重視。


※実証主義とポスト実証主義の違い
実証主義・・・物事の因果関係の説明を重視
ポスト実証主義・・・因果化関係よりも、結果に至るまでの過程を重視


◆言説への注目

ポスト実証主義の流れの中で、言説への関心は非常に高まった(ポスト実証主義は「公共政策=言葉で作られる」という考え方だから)。


・言説分析・・・政策での言説(言葉による表し方)に関する分析。言葉の書かれ方がどのように政策過程に影響しているか
①メタファー(=暗喩)・・・ある言葉・言い方が、ほかの事象を強く印象付け連想させること。ex) "acid rain(酸性雨)"いかにも環境に悪そうな言い方をすることで、酸性雨=悪という印象が付く。
②物語のストーリーライン(あらすじ)・・・我々は、複雑な状況に直面すると、それを単純にとらえられるように「物語」としてとらえる。この存在が、問題の構造化に大きな影響を与える。

つまり、

メタファーによる誘導
ストーリーラインで一定の因果関係を埋め込み単純化
ストーリラインをもとにした人々の問題認識、問題構造化(=まずい問題だと認識付け)に影響。



◆フレームへの注目

※フレーム=状況を認識し、行動案を選択する認識枠組み(ものの見方)

◎政策分析に「フレーム」の概念を入れるとどうなるだろうか?


政策問題における構造化で、このフレームがどのように調整されるかが重要になる


問題に取り組む人々の間で、フレームの仕方が異なると、問題も複雑化する


問題を構造的に考えるには、当事者同士で、議論などを通しフレーム(捉え方)を一致させるリフレーミングすることが重要である

ex1)「生存率92%」と死亡率「8%」だと、前者の表現・提示の仕方のほうが受け入れられやすい印象になる→フレーミング効果という

ex2)リスクの認識は、素人と専門家で異なる
素人・・・リスクの大きさを重要視
専門家・・「リスクの大きさ×リスクの発生率」二つの掛け算を重要視

「がんの原因になる項目」
素人・・・タバコ、食品添加物、大気汚染、公害…
専門家・・タバコ、加齢、飲酒、偏食・過食…

もはや違う宗教。


◆どのようにフレームを調整するか?

フレーム対立の明確化→それぞれの人がどのようなフレームを持っておりどこに、どのような対立が起きているのかをはっきりさせる
※特に以下の二つのフレーミングが対立する
・自然主義的フレーミング:科学に基づいたフレーミング
・非自然主義的フレーミング:上の逆

それぞれのフレーミングをもとに、リフレーミング
・それぞれの主観を配慮し、議論、熟考をしたうえで。

新たなフレーミングの設定
・それぞれのアクター間が合意できるフレームを作る。



◆リフレーミングへの注目

では、リフレーミングは合意形成のためのツールとなるだろうか?

お互いの価値観が激しく対立するとき


それまでのように、いきなり価値観を統一しようとしても、それぞれの人々が価値観を容易に変えることは考えにくい


ならば、まずはお互いがある程度合意できるレベルで、合意形成を行うことが必要になる(同床異夢


その後、細かい部分の対立や課題に取り組むことで、政策が前進する


この流れ、特に同床異夢の状態を作るには、リフレーミングが有効なのである。
これらのように、リフレーミングを通した合意形成の流れをリフレーミングプロセスという。

ex)富山のLRTと熊本のLRTの比較。




2017年7月21日金曜日

行政学 第4回

◆テーマ:行政システムは具体的にどのように発展してきたのか?

☆多様な行政サービスがどのように生まれ、定着したのか?行政システムはどのような理念に基づいて、どのように変わっていったのか?

◎分かりやすい比較例:ドイツ


◆行政システムのはじまり

◎工業化の前の行政

・自由主義を基軸とした小さな政府(=国があまり口出しをしない)
・都市(地方)に自治が与えられ、自律的に政策を行う(その代わり時々国に協力してもらうスタイル)。道路行政や、学校行政、救貧行政など
・当時のベルリンにおける貧窮者:多くが寡婦、2割だけが労働者→労働者が貧困を訴えることはそんなになかった
・そのため教会や市民で扶助をした(国がしたわけではない)

☆この時代は国が介入しなくても市民の間で何とかなった

◎やがて都市化すると

都市化=工業化による産業構造の転換

工業が発展する流れ
①1815~1840:工業化初期、鉄道の建設
②1840~1870:工業成長の兆しの時期
③1870~:工業が発展する時期

都市化や、都市の密集が問題を引き起こすようになるのは、②の時期。
おもに衛生不良による疾病、犯罪
この問題を解消するために上水道の供給、ガスの供給が、公営で行われる
インフラが整備されることにより、さらに都市が発展
それに伴い住宅や、公共交通、電気、下水道などが整備される(③の時期)

☆都市化に伴い、徐々に国の力が必要となってくる

◆第二帝政期(1871~1918)における行政システムの形成

◎国家の新たな行政活動・・・

ビスマルクによる国家の社会政策が加わる
社会保険を始める代わりに、社会主義者を鎮圧(飴と鞭)
※社会主義:労働者に支持された

ただし、行政の活動の総量は限定的。

☆貧しくならないように予防しよう、という考え方が定着した。ただし国はたいして働いたわけではない。


◎都市行政の定着と変容

都市化に伴って、さらに社会が変容。具体的には・・・
①さらなる都市インフラの必要性(住宅建設、公共交通、下水道など)
②日常生活に不可欠となるサービスの必要性(生存配慮という)
→多様な行政サービスの登場→20世紀になると社会扶助にも拡大

・なぜ都市行政サービスが定着したのか?
①生活改善の考え方が受け入れられた(都市社会主義)
②都市行政サービスに関する専門家の育成が重なった(都市官僚の台頭)
③都市行政サービスが、よく儲かった(営利性)


◆戦間期においては行政サービスはどのように変化したか?

◎ヴァイマル共和国になり行政システムにも変化が・・・

なぜ行政システムが転換されたのか
①ヴァイマル憲法が制定された=生存権が保障された(=生存配慮が確実なものに)
→国による社会扶助が憲法で保障された
②敗戦による財政圧迫=インフラはある程度発展したので、切った。
※ただし公共交通はドル箱だったので維持。

☆社会国家への転換、中央集権化に伴い都市の自立性が低下=行政サービスを誰が保証するのかが複雑に。


◎不安定な経済と第三帝国

1930年代はかなりの不況で、失業率40%であったが、1935年には失業問題を解決。なぜか
国家の積極的な経済への介入をしたため(アウトバーンや、自動車産業促進など)=純粋な中央集権国家が出来上がる。
国が保障し、自治体が供給する体制になる
典型的なトップダウン型が完成

☆中央集権国家が出来上がり、自治体が国の下請けとなる


◆戦後の行政システム

◎福祉国家としての歩み:なぜ普通の国家になれたのか

戦後、西ドイツは「奇跡」といわれる経済復興を達成。なぜか。

国家の介入を許容した、自由主義経済思想を取り入れたから(社会的市場経済)

福祉国家として進んでいく

※日本と同様戦後アメリカの支援、および冷戦の特需によって再建したとも。

◎その後
保守主義レジーム(家族や協会にも手助けしてもらう形)として、新自由主義へと転換していく。


行政学 第3回

行政がどういった軌跡をたどっていたのか。なぜ複雑になったのか?


 行政は、初めは絶対王政化で強靭な国家を作るにあたり統治機構を整える必要性から生まれた。その後、ナポレオンが台頭するようになり、領地の支配と引き換えに自治権が与えられ、自由都市が生まれた。これにより、中央地方の関係が出来上がる。
 重商主義を進めていった結果、ブルジョワなどの納税者が、自由主義をもとめるようになり、三権分立の概念が誕生した。それによりブルジョワらが政治に加わると、規制廃止の方向に進み、国家は夜警国家化した。
 しかし、自由都市が生まれ経済が活発になると、工業化が始まり、工業化が進むと人口が増えるため、都市行政サービスを整える必要が出てくる。また、工業化に伴い誕生した労働者が台頭するようになると、今度は労働者も政治に参加することになるので、左派的、社会政策や労働政策の拡充が求められた。すると国家の行政活動は大幅に増加し、国家は行政国家化した
 さらに、世界大戦や大恐慌の影響で、中央集権体制が築かれ、国家は経済に介入する福祉国家となったが、60年代以降の経済停滞や、オイルショックなどで政策が失敗すると、「大きな政府」に対する批判がおおきくなり、新自由主義や社会民主主義など、新しい国家の在り方が模索され、各国で差が出るようになった。

◆絶対王政下

ウェストファリア条約以降

領邦国家がひしめく時代

中央集権体制の確立

強靭な国家基盤を作る=統治機構の整備や拡充が必要になる

統治機構の内訳
①君主権=協賛機関。議会の原型
②統治権=遂行機関。内閣の原型


◆地方自治制度への着目

なぜ地方自治制度の整備が必要になったのか?→自由都市の存在
地域併合の代わりに、自治権が与えられるようになった
①国家による自治の保証 ②国と年の二重構造中央地方関係が創出される



◆ブルジョアの登場

自由都市化に伴い浸透した重商主義が進むと、市民の中に「ブルジョア」が登場する

プルジョア=納税者

自由に商売をしたいので、自由主義を支持する(国は余計なことはせんでええ)

近代市民革命、立憲主義が求められるようになる。

◆立憲君主制と三権分立の成立
君主:「ルールで自分を縛るから、自分はいてもいいよね」ということで、欽定憲法発布。国民議会の開設

三権分立の概念が確立

このとき、法律は行政よりも優位に立っていたが、制度が整ってない上に官僚に自律性があったため、行政を十分にコントロールできなかった


◆近代民主性の議会システムと行政

制限選挙→ブルジョア中心の利益を代表する議会→重商主義の批判(規制や助成はだめだ!だめだ!)→国防、治安維持以外はほったらかしくらいでいい!と。


◆工業化と都市行政の発展

自由主義政策を進めていった結果→工業化:産業革命

工業化による変化
①都市化、②都市問題の発生、③労働者の登場

都市行政サービスが発展する
地方に自治権があり、全権限性(必要なことは何でもしていいよ)があったので、実行できた

工業化によって、地方政府レベルで行政活動が大幅に増加した


◆労働者の台頭

労働者が増え、階級対立が激化
①よりよい生活=福祉の要求
②そこから、革新的思想の誕生
労働組合の結成

◆現代民主制と職能国家、行政国家

普通選挙制度の導入→いろんな人の意見が政治に反映される(もちろん労働者も)

左派政党の影響力が急増

社会政策、労働政策の拡充行政の活動がデカくなる

立法府よりも行政府(=議会よりも専門家集団)のほうが説得力のある、いわゆる行政国家、職能国家となる

なお、行政サービスの権限は中央政府に帰属する一方で、実施は地方政府

地方政府の自立性喪失

福祉国家の中央地方関係が作られる


◆福祉国家

①世界大戦で、中央集権化
②大恐慌で、経済への介入

程度の差はあれど、先進諸国では1960年代まで福祉国家が進展


◆その後、脱福祉国家

1960年代以降、各国で産業が行き詰まる
1973年オイルショックで経済停滞→福祉国家の黄金期が終焉

大きな政府への批判

新たな道へ
①自由主義路線
②社会民主主義路線
③保守主義路線



2017年7月20日木曜日

行政学 第14回 民営化

◆民営化とは
民営化:公企業の所有と経営とが、政府以外に変化すること

◎民営化のメリットデメリット
+効率化、スリム化、競争の原理が働けば品質向上
-赤字の切り捨て=国内での格差、コスト削減施行に伴う品質低下

◆国鉄民営化
鉄道は、19世紀から20世紀初頭にかけて国営化されるケースが増えた
・儲かるし
・重要なインフラ
だったため。

しかし、新自由主義の考え方が広まると、公共事業の民営化が叫ばれるように

国鉄も、その流れを受けて、累積赤字を解消する目的も含めて民営化。
ただし、民営化の度合いは各国で異なる。

◆日本とドイツの国鉄民営化比較
日本
地域を分割した民営化 ②すぐに完全民営化はせずに様子を見ながら。
私企業として採算の取れるものとして扱っている。

ドイツ
上下分離方式 ②都市と地域の分割と地方分権化を意識 ③EUの影響 ④民営化されたドイツ鉄道の株は政府が保有
採算の取れない公共サービスであるが、民営化できるとことは民営化する。


◆日本の国鉄民営化
なぜ民営化したか
地域密着(表の理由)
累積赤字の解消、利益誘導(裏の理由)
・シェアの衰え
・サービス品質の低下
選挙に当選するため、収支が合わないことを知りながらも建設された路線もしばしば。もちろん赤字。

国鉄から、JR7社へ。
・扱いは、特殊会社=部分民営化
・地域で分割したのが日本の特徴(地域間で鉄道経営に差がある)。分割民営化が成功だったかどうかは、現在も議論されている最中

◆ドイツの国鉄民営化
コール政権が成立し、新自由主義が台頭、小さな政府的な考え。

◎ドイツの境遇
・赤字の累積
・経営改善にも限界
・東西ドイツどちらも経営難だったのに統一され余計厳しい
・EUの交通政策の影響

このようなこともあり、早期(’70年)から地方路線の赤字を認識、問題視。

連邦で責任をもって面倒見てほしい派(地方政府)と地方のことは地方に任せる派(連邦政府)が対立。

生存配慮=生活維持のため、赤字でも路線を残す方向性に
①インフラ部門の安定的供給 ②権限の獲得お呼び財源の保障

ということで1994年民営化

1996年、上下分離化
近距離旅客鉄道に関する権限を州政府に移譲。

行政学 第9回

①日本の中央地方関係・政府間関係はどのような状況にあるのか?
②地方分権改革にどのような背景があり、何がどのように変化したのか?


上記の問いを一言で答えると

①現状
・地方の運営には国からのお金が多く使われており、自立しているとは言い難い。
・権限においては、文面上は国と地方は対等である。
・人事においては、出向が、国と地方の「人事交流」的な側面を持っているともいえる。

②経緯
戦前:集権・融合の中央地方関係が構築された。集中的分散システム、集権融合型、市町村横並び平等主義
GHQ期:事務とお金の分離はなされたが、完全分離・明確化はしなかった
独立後:GHQで行われた政策の多くは廃止され、戦前への逆コースをたどった
第一次地方分権改革:法制度、権限に関する集権・融合の是正、緩和がなされた。国の包括的な指揮監督権の廃止、機関委任事務の廃止
2000年代半ば以降:財政、事務の分権化に着手されたが、自治の確保と国のコントロールは果たしてどうだろうか